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まとまりのない長文です。

どんなに丁寧な言葉で飾りたてても、言っている内容が拒絶なら
ぶっきらぼうに言うよりも感じが悪い。
個人は、企業じゃない。
否定的な内容の文章をわざわざやたらな丁寧語で飾り付ける必要はない。
言葉が丁寧であればあるほど、内容の酷さを必死で隠そうとしているような、
でもそのせいで逆に際だってしまっているような、そんなふうに私は感じる。

嘘をついたり隠し事をしたりするのは嫌い。
だけどいつも正直に思うがままのことを口にしていたら
争い事が起こるばっかり。

嘘をつかず、自分の思うがままに動いて、争い事がおこらず
みんなが幸せでいられたらどんなにいいだろう。

でも、そんな人いない(。。)
孔子は「七十にして心の欲する所に従いて、矩(のり)を踰(こ)えず。」と言ったが
それはアンタのように偉い人だけだろう。
うちには80過ぎてワガママホーダイのおばーちゃんがいる。
要するに、孔子のような偉人だって、やりたいよーにやって
人に迷惑をかけなくなるまで70年かかるのだ。
いわんや常人をや。
ちっちゃい頃から、道徳はオマケで国語算数理科社会大事って教えられて育ってきた若者をや。

誰もが皆、心の中に黒い部分を秘めていて。
それを表に出さずににっこり笑うのが「いい人」。
何も隠さず、嘘も隠し事もせず、「いい人」でいることはできない。
人はみんな、心の中に「汚れ」を持っているのだから。

私は形だけの謝罪はしない。
見せかけだけの反省や償いもしない。

しかしそれは、他の人もそうだとは限らない。
むしろ、「とりあえずあやまっとけ」的な謝り方をする人の方が多いだろう。
その方が、「得」だから。「大人」に見えるから。
そんな謝り方は、言葉のどこかしらに「本気じゃないけどネ」という意志が
見え隠れするのだ。だから俺は嫌い。

だけど私は信じてみよう
あの子の発した言葉のすべてを 謝罪と拒絶の意志を
健やかにおすごしくださいという祈りを

そして否定しよう
「わたしがいない方があなたのためになる」という言葉は。

何があっても他人を悪く言わなかったあの子も。
いつも泣きたい理由を隠して、元気だよーと言っていた。
泣き言は言わない、弱いところは見せない、と言い張って。
だけど気が付けば、泣きたそうなことを日記に書いていた。
それが、あの子の秘めている闇が深いことの現れだと
何故気づけなかったのだろう。
何故、誰のことも悪く思わないよい子だと、信じていられたのだろう。
真っ白な心の人なんて、いるわけがないのに。

必死に隠していたのに、曝いてしまった。
…それは、いけないことだったのだろうか…。
確かに、私の言ったことをその子は受け止めきれず、嫌になり、私は拒絶された。
言葉を飾ってもそれは拒絶の意志のあらわれ。
今まで隠してきた心の中の「汚れ」を曝かれるのは、許し難いことだろう。
そして、他人の「汚れ」を延々と見せつけられることも。

…だけど、君は、いらない子なんかじゃないんだよ。必要なんだ。
黒い面を見せても見せられても、優しい君も本物だもの。
近くに、いてほしいよ…
見限られたら、やさぐれる。人を信じなくなって、他人と距離を置くようになる。
それが「私が良くなる」ということなら…
甘んじて、受け入れよう。君に見限られよう。人を信じなくなろう。

私はある時、ちょっとした事件から、いい人のふりをするのはやめようと思ったんだった。
「ふり」をやめれば、本当の私の姿を知ってなお友達でいてくれる人だけ
ついてきてくれるだろう。
私は、うわべだけのつきあいで作った100の友達より、
本当の自分をさらけ出し合ってできたたった一人の友達の方がいい。

でも…
50人強の多人数が集まる場所で、いい人のフリをやめることはできなかった。
あそこにいたのは偽りの自分。
汚れた心を白く塗り重ねてきた自分。
心の汚れた部分を浄化できず、ただ白を塗り重ねて隠していって。
また汚れたらまた白く塗って。どんどん重たくなる心。
その重さに耐えかねて、私は出てきたのではあるまいか。
様々な事件は、きっかけにすぎない。

あの場所に置いてきた人たち…
彼らの何人が、「本当の自分」を受け入れてくれるだろうか。
「本当の自分」としてあの場所で発言できていたのだろうか。

 雪がはげしく ふりつづける
 雪の白さを こらえながら

 欺きやすい 雪の白さ
 誰もが信じる 雪の白さ
 信じられている雪は せつない

 どこに 純白な心などあろう
 どこに 汚れぬ雪などあろう

 雪がはげしく ふりつづける
 うわべの白さで 輝きながら
 うわべの白さをこらえながら


 (「雪の日に」詩/吉野弘 合唱曲集「心の四季」より)

ちょっと長い引用ですみません( ̄人 ̄)
大学3年の頃にこの歌を歌って、それからずっと、上のようなことを考えていました。
純白な心などないと…それでも白く見せかけねばならないと…
…会ったことがないだけで、わからないだけで、本当はいるのかもしれません。
純白な人。

とりとめがなくなってきたのでこのへんにしときましょう。

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