Doblogからインポートした過去日記。更新しません。
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精神世界2連発。
一応性別不詳のつもりで通してきたけどもう萌えバトンとかでバレバレだと思うので
今まで書かないでいたこれをぶちまけてしまおう。
「デートしたら男の子がおごらなきゃいけない」とか
「結婚したら女の子が炊事洗濯をやるもんだ」
「女の子はだらしない格好をしちゃいかん。社会人は化粧をするべし」
「男の子が人前で泣くな。みっともない」
そういった、いわゆる「社会的な性差に基づく男女差別」が
大っ嫌いです。異常に抵抗を覚えます。
ワリカンしたらいいじゃないっすか。
お金ある方がおごればいいじゃないっすか。
どっちかが仕事をやめるんならともかく、共働きなら二人とも家事をするべきじゃないっすか。
女の子がおしゃれして化粧をしなきゃいけないなんて誰が決めた。めんどくさいわ。
男の子が弱くたっていいじゃないですか。男であるというだけで強さを要求されても困るっしょや。
肉体的な男女差に基づく区別はしょうがないんですけどね。
生理休暇とか出産育児休暇とか。
クソ重たい荷物はマッチョな男が持つとか。
でも自分で持てる荷物は持っていたいものです。
男だからって、あんまり逞しくないのに重いもの持たされるのはかわいそうです。
しょうがないとは思うけど、「女の体は弱い」をふりかざしていろいろ要求するのもなんだか。いや。
女だからという以前に弱いんで偉そうなこと言えないんすけどね_| ̄|○
男だから強くあらねばならないと思って無理に強くふるまう子には
失敬だけどあわれみを感じてしまう。
そのまんまでいいんだよ。
性格的な男女差は、どうも脳みその構造が違うことから派生しているらしくて、一概に
「女だからネチネチしてるんだろうとか根拠がないこと言うなやヽ(`Д´)ノ」
なんて堂々とは言えませんけど。
例外というか、大多数にあてはまらない人間も多いわけですから
男か女かでひとくくりにしないでいただきたいものです。
「これだから女は…」ちゃうわヽ(`Д´)ノ
ネチネチしているのは俺個人の資質であって女であることには関係ないと。主張したい。
血液型とか星座ではわりと素直に型にはめられているのにね。
んなもんだから、普通電車の女性専用車両とか映画館のレディースデー(メンズデーはない)とか
ガソリンスタンドのレディースデーにも意地で逆らってますね。
いや、この地方で普通電車の女性専用車両なんてないし乗る機会もないけど。
寝台車は女性専用車両取りますよ。だって寝るんですもの。(←このへんもわけわからん)
こんな性格がいったいどんなトラウマによって培われたのか思い返してみる。
小さい頃に親父と別れたとか、その親父は横暴で母をこきつかってて
優しくしてるとこなんか見たことなくてすっけべーで嫌いだったとか
クラスの男子はいじめて女子はいじめなかったとか、そういう下地があるのだろうが。
いやそれ関係あるのか。何かの反動か。
はっきり覚えているのは。
大学の1年だか2年の頃、全然興味ないのに一般教養の単位のために取ってた
社会学だか倫理学だかの授業で寝ていたら、教授にバコっと殴られて
「だらしない女だな!」と言われた。
寝てて怒られるのは至極当然のこととして、殴られてもしょうがないと認めましょう。
しかし、その「だらしない女」という言葉に、「女でありながらだらしない人間」
に対する侮蔑がありありと含まれているように感じた。
寝ていたのが男であったら、「だらしない男だな!」とは言わなかったと思う。
女がだらしないのは、男がだらしないのよりも激しくだらしないと思われているから。
多分それからではなかったろうか。「女」と呼ばれることが嫌いになったのは。
「この女」「あの女」という言い方に、女に対する侮蔑が含まれていると
感じるようになってしまったのは。
「この男」「あの男」なら平気なのにね。不公平だね。
ちなみにその教授の名前も授業内容も覚えてねーよ。単位は取ったけど。
だから私とつきあう人は、こういう変なこだわりをすべて受け止めてくれるか、
いっそぶちこわしてくれるような人じゃないとダメでしょうね(’’)
さて……
一応性別不詳のつもりで通してきたけどもう萌えバトンとかでバレバレだと思うので
今まで書かないでいたこれをぶちまけてしまおう。
「デートしたら男の子がおごらなきゃいけない」とか
「結婚したら女の子が炊事洗濯をやるもんだ」
「女の子はだらしない格好をしちゃいかん。社会人は化粧をするべし」
「男の子が人前で泣くな。みっともない」
そういった、いわゆる「社会的な性差に基づく男女差別」が
大っ嫌いです。異常に抵抗を覚えます。
ワリカンしたらいいじゃないっすか。
お金ある方がおごればいいじゃないっすか。
どっちかが仕事をやめるんならともかく、共働きなら二人とも家事をするべきじゃないっすか。
女の子がおしゃれして化粧をしなきゃいけないなんて誰が決めた。めんどくさいわ。
男の子が弱くたっていいじゃないですか。男であるというだけで強さを要求されても困るっしょや。
肉体的な男女差に基づく区別はしょうがないんですけどね。
生理休暇とか出産育児休暇とか。
クソ重たい荷物はマッチョな男が持つとか。
でも自分で持てる荷物は持っていたいものです。
男だからって、あんまり逞しくないのに重いもの持たされるのはかわいそうです。
しょうがないとは思うけど、「女の体は弱い」をふりかざしていろいろ要求するのもなんだか。いや。
女だからという以前に弱いんで偉そうなこと言えないんすけどね_| ̄|○
男だから強くあらねばならないと思って無理に強くふるまう子には
失敬だけどあわれみを感じてしまう。
そのまんまでいいんだよ。
性格的な男女差は、どうも脳みその構造が違うことから派生しているらしくて、一概に
「女だからネチネチしてるんだろうとか根拠がないこと言うなやヽ(`Д´)ノ」
なんて堂々とは言えませんけど。
例外というか、大多数にあてはまらない人間も多いわけですから
男か女かでひとくくりにしないでいただきたいものです。
「これだから女は…」ちゃうわヽ(`Д´)ノ
ネチネチしているのは俺個人の資質であって女であることには関係ないと。主張したい。
血液型とか星座ではわりと素直に型にはめられているのにね。
んなもんだから、普通電車の女性専用車両とか映画館のレディースデー(メンズデーはない)とか
ガソリンスタンドのレディースデーにも意地で逆らってますね。
いや、この地方で普通電車の女性専用車両なんてないし乗る機会もないけど。
寝台車は女性専用車両取りますよ。だって寝るんですもの。(←このへんもわけわからん)
こんな性格がいったいどんなトラウマによって培われたのか思い返してみる。
小さい頃に親父と別れたとか、その親父は横暴で母をこきつかってて
優しくしてるとこなんか見たことなくてすっけべーで嫌いだったとか
クラスの男子はいじめて女子はいじめなかったとか、そういう下地があるのだろうが。
いやそれ関係あるのか。何かの反動か。
はっきり覚えているのは。
大学の1年だか2年の頃、全然興味ないのに一般教養の単位のために取ってた
社会学だか倫理学だかの授業で寝ていたら、教授にバコっと殴られて
「だらしない女だな!」と言われた。
寝てて怒られるのは至極当然のこととして、殴られてもしょうがないと認めましょう。
しかし、その「だらしない女」という言葉に、「女でありながらだらしない人間」
に対する侮蔑がありありと含まれているように感じた。
寝ていたのが男であったら、「だらしない男だな!」とは言わなかったと思う。
女がだらしないのは、男がだらしないのよりも激しくだらしないと思われているから。
多分それからではなかったろうか。「女」と呼ばれることが嫌いになったのは。
「この女」「あの女」という言い方に、女に対する侮蔑が含まれていると
感じるようになってしまったのは。
「この男」「あの男」なら平気なのにね。不公平だね。
ちなみにその教授の名前も授業内容も覚えてねーよ。単位は取ったけど。
だから私とつきあう人は、こういう変なこだわりをすべて受け止めてくれるか、
いっそぶちこわしてくれるような人じゃないとダメでしょうね(’’)
さて……
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